カビゴンは ゲームを している!

ゲームに本気を出す大学生のブログ

正しさに包まれたなら

はいどーも、23歳学生です。

睡眠導入剤として、最近思う事を殴り書きします。



最近、他人への接し方が変わったなと思うんです。高校の頃の俺は、他人がどうであろうと互いに迷惑でなければ「我関せず」って感じやったんですよね。ところが最近は、「他者を受け入れる」って方向にシフトしてるんすよね。

似てるけど、少しニュアンスが違うんすよ。自分と異なる思考、感性、存在を「認知する」のが高校時代で、「理解に努める」のが今現在。

恐らくこれは、大学生やってる中で多種多様な人々と出会い、様々なイベントが発生した中で、自然とそうなっていったんやと思います。

しかし最近思うんです。「これって…自分に毒盛ってるよなぁ」って。それとも…良薬口に苦し、なのかもしれませんが。いずれにせよ、この考え方って自分を苦しめてる部分がある様に感じるんですよ。

例えばですが、この前ある業界で有名な方がコロナに関するツイートをしてたんです。確か内容は「若者は危機感が無いんじゃない。自分達に対する感染時のリスクが低いことを理解してるから外を出歩くんだ。そこを加味してメッセージを出さないと、政府や医者の言うことが的外れになるんだ。」みたいな感じ。

これを見て思ったんです。「ああ、高校の頃の俺なら全面的に賛同してたな。」と。その方の考え方は正に自分の思考回路と全く同じで、自分も同じ考え方に則ってコロナ禍での行動を決定してますから。

ですが意見への賛否という部分では、今の俺は違うんです。引用リツイートで「その理屈は部分的に正しい。一方で、特に物事を深く考えず感情的に行動する輩もいるはずだから、そいつらにはまた別のアプローチが必要で、それが今の脅迫めいたメッセージに繋がってるのでは」という内容をかいたんですよね。

ここでもう一度はっきりしておきたいのは、俺は本来この方と全く同じ考えなんです。本当なら「全くもって仰る通りです!」と言いたいんです。

ところが自分は、少なくともこの場には存在しない「感情的に行動する若者」という視点から、また異なる考えを示した訳です。この理屈の真偽がどうこうってのも気になるところですが、それ以前にこの行為って、自分からすると辛いですよ。だって「本来眼中にないもの」「非合理的と切り捨てるはずのもの」をわざわざ引き合いに出した上で、本来なら賛同したい話に疑問を投げ掛けてるんですからね。今までの俺なら…怪しい表現になるかもしれないけど、「正しさに甘えてた」と思いますね。それをしなくなったんですよ。



これを人は成長と呼ぶのかもしれない、ですけど…正しさをかなぐり捨てる必要のある成長って、一体これはなんなんだろうとも思いますね。でも正しさや合理性だけでは物事が解決しないってのもまた正しくて…でもその解決の為に正しさを見捨てる事も時には必要で…でもこれで成長する事に虚しさを感じて…でも…

…これが人としての成長であって、これが人生である、なんて言われたら、堪らないですよ。ほんとに。



中国の神話に、神農って神様がいるらしいです。胃が透明で、毒草を食った時に腹が真っ黒になったんだと。神農が草を片っ端から食って識別してくれたお陰で人々は安心して植物を利用できたんだけど、最終的に神農は毒草の食いすぎが原因で死んじまったそうです。

人としての成長は大切だとも思いながらも、そんな風にはなりたくないなぁとも思う今日この頃です。

終わり